Article 08

敦夫さんのこと

About Atsuo

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まだ日本にいたころ、とある友人にブラジルへ行くと伝えると、彼女の大学の先輩がブラジルにいると教えてくれた。中川敦夫さんという方で、アーティストとして活動しているらしい。詳細はわからない、でも「いい人やから」と連絡先を教えてもらった。

サンパウロに到着して当日、現地のSIMを手に入れ、敦夫さんにメールで自分の連絡先を伝える。2日後に返信。メールをチェックしそびれていたらしく「堪忍な」とあった。聞けば携帯も持っていないという。メールのやりとりの印象だけでタフな人なんだろうなと感じた。翌日東洋人街で待ち合わせをすると、小柄なオッサンが笑顔で現れた。最近できたという東京にありそうな小洒落た店でコーヒーを飲みながら色々と話を聞かせてもらう。話の中には破天荒なグラフィテイロ(グラフィティライターのブラジルでの呼称)や、金に汚い画商、グラフィティを描いているときに出会った自称殺し屋の男、と強烈なキャラクターが並ぶ。

敦夫さんはブラジルにきて8年になるという。京都の美大を出てから勤めていた会社を退社し、32歳でこの地にやってきた。きっかけはその少し前。サンパウロにいる知人が企画する展覧会で作品を展示したところ、現地のギャラリーの目に留った。展覧会のために滞在していたサンパウロも気に入り、この地でやってみたいという気持ちが高まり、拠点を移すことになったという。初めはタブローだけだったが、現地のアーティストらと交流するようになり、現在はグラフィティに加えスニーカーやアパレルブランドへのイラストレーションなど活動の幅を広げている。

その後もたまに会うたびに、最初に会った日と同じテンションで敦夫さんは様々なエピソードを聞かせてくれる。相変わらず濃いキャラたちが登場する。その度に「今度会わすわ」と言ってくれる。実際には敦夫さんがいつも多忙であるため、紹介してもらったのはその中の数人なのだけれど、その輪の広さと気前の良さにはいつも驚かされる。まだ知り合いが少ない最初のころ、グラフィティ界隈で会う人に対してはとりあえず「amigo do Atsuo(敦夫の友達)」のフレーズを自己紹介として毎回使わせてもらった。皆は「アツオの友達か!」と一発で心を開いてくれる。「みんなアツオ大好きだからな。」彼を知る人は口をそろえてそう言う。

敦夫さんは最初の頃、ポルトガル語が全くできなかったという。自分は少しだけ勉強をしてきたのでギリギリ意思疎通はできるが、それでも言語からくる疎外感はまだまだある。彼の当時を知る友人らが言うには「アツオは全く話せなかったからなあ。いっつもニッコリ笑ってるだけで。」当時、本人としてはかなり辛い時期で電話で親の声を聞いて泣きそうになったと笑って話してくれた。それでも今ではポルトガル語で友人らと冗談を言い合っている。

本当にありがたいことに、敦夫さんを通して多くのグラフィテイロやギャラリーの人々と出会い、彼らについての本をつくって小規模ながらもローンチイベントまでこの地でやることになった。敦夫さんと出会わなかったらこの滞在はどんなふうになったろうか。外側をウロウロするだけで終わっていたかもしれない。それでも、メキシコでグラフィティに出会いサンパウロでそのカルチャーに一気にはまった経緯もふまえると、勝手ながら出会うべくして出会ったんだという気持ちの方が強い。

2019.02.10

サルバドール

Salvador