Article 07

ルーツとコミュニティ

Roots and communities

MAP

多様な人種や文化が混在している、というのが僕がブラジルに惹かれた一番の理由だった。はじめてブラジルの地におりたち、サンパウロのメトロに乗ったとき、ああブラジルに来たんだなあと感慨深くなった。社内には白や黒といった単一的な記号では言い表せない肌色の人々がひとつの車両に揺られている。

街を歩いて人々を見ているだけでも飽きない。肌の色、髪型、ファッション、タトゥーと老若男女それぞれが好きなような出で立ちで多様性を体現している。最初はそれぞれのルーツに興味があったものの、段々と「どこの国の出身ですか?」という質問が何だかナンセンスに響いていることに気づく。サンパウロでできた友人にそういった感動を伝えると、彼は「僕も生まれたのはここだけど、自分の家族のルーツとなると、父親はイタリア系だし、たしかレバノンの親類もいるって聞いたこともあるし、自分でも把握しきれてないよ。」と笑う。

ある日、近くの図書館でも催されていたブックフェアをぶらついてる中で、日系ブラジル人の男性と出会った。だいたい自分と近い歳に見える。彼のブースにある本が綺麗で一冊購入した。移民としてブラジルへ来た一世である彼の家族の写真で構成された本だった。もちろんお互いはじめから「日系人だ」「日本人だ」という意識はあったもののはっきり口には出さずにいた。それでも会話をする中でウマが合うなとお互い直感みたいなものがあって「今度一緒に遊ぼうよ」とすぐに約束をした。彼はAlexandre(アレ)といって、わりと近所にグラフィックデザインの事務所を構えていた。後日そこを訪れると、アレと彼の同僚の日系人Yuzo(ユーゾー)が迎えてくれた。大きなオフィスで、同世代の人たちが運営している事務所が4、5社集まってスペースを共有しているらしい。少し驚いたのがアレの事務所のメンバーが皆アジア系の人たちだったこと。それぞれ日系、中国系、韓国系、台湾系とその中でのバリエーションはあるのだが。僕がアレに出会ったときの直感は、やはり身近な見た目というのがあったからなのか。それだけでは無いと言いたいが、ひとつの大きな要素ではあったのは事実だろう。その夜アレから、ブラジルでは黒人への差別とは違ってあまり話題にはされないけど、アジア系に対する差別もあるんだ。と話してくれた。

多様な人種が混在する街を初めて体験したのは、大学のときにいたロンドンだった。あの街はアフリカ、インド、トルコ、バングラディシュなど様々なルーツをもつ人々が暮らしていて、東西南北にそれぞれのコミュニティがはっきり区分けされて存在していた。興味があってそれぞれのエリアに訪れたことはあったが、どこか閉鎖的で居心地が悪かったことを覚えている。それに対してサンパウロは、特定の人種のコミュニティは存在するものの、そこまで大型ではっきりとしたエリアの区分けは無い。それに前述のように日系人をふくめ様々な出で立ちの人々が歩いているため、自分の存在もその場で浮くことなく、どこを歩いても自分もこの街の人間なんだと思うことができる。

日系人でだいたい僕と近い年齢の彼らの世代は3世もしくは4世。家族によるとのことだけど、僕が出会った人たちはほとんど日本語を話すことはできない。そのことについて、日系人のブラジルへの同化、日本文化の消失、とコミュニティ内ではなにかと問題に挙げられているらしい。理屈はおおいに理解できるけれど、ブラジルを見ているとなんだかそれもナンセンスに思えてくる。その一方でブラジルの人たちは日本からの移民が持ち込んだ文化がこの地に根付いた経緯について、未だに多くの賞賛の言葉を日系人におくっている。

共通のルーツで繋がるコミュニティは、そのアイデンティティを保持し続けようとする。保持するためにその入り口を封鎖してしまうことはある種有効な手立てだろう。ただコミュニティが本当にその地に根ざしていきたいと思ったらその入り口は広く開けておく必要があるのではないか?より多くの理解者を募るために。より多様な文化と共存していくために。コミュニティは共通項を持つ人たちだけをつなぐだけの存在ではなく、外の誰かと誰かをつなぐ存在であると。サンパウロを歩いているとそう信じたくなる。

2019.01.04

リオ・デ・ジャネイロ

Rio de Janeiro