Article 06

キューバとマウロ

Cuba and Mauro

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キューバとの最初の出会いは多くの人がそうであったように映画「Buena Vista Social Club」だった。そこで出会った音楽や風景は、それまでに享受していた欧米カルチャーとは異なるエキゾチズムにあふれていた。ただ本当にそれだけだった。僕にとってチェ・ゲバラはTシャツの柄の人だったし、カストロの死もアメリカとの国交回復も遠い国のニュースだった。それでも少しは予習をと思い、訪れる前に歴史をさらいチェ・ゲバラに関するドキュメンタリーや映画を数本みた。その中に登場する革命は奇跡的な正義だと感じたし、チェもカストロもヒーローだった。彼らがつくった国を見に行けると思うと少し興奮した。

空港から市内へ向かうタクシーから見えてきたハバナは、これまでに訪れたどの国とも異なる雰囲気だった。クラシックカーと呼ぶ には苦しい古い車、乗合タクシーをつかまえるために道路にせり出す人々、カストロを弔う大きなビルボード。街を歩けば何をするでもなく通りの脇にしゃがみこんで話をしている多くの人や、深夜近くになっても家の前で遊んでいる子供達が目に入る。貨幣は観光客が使うCUCと地元の人が使うCUPと2種類あり、CUCが使える観光客用の店とCUPを使える地元の店とでは10倍ちかくの物価の差がある。市内を走るバスには正確な路線図が存在せず、ネット通信については1時間のチケットを売店で買い海辺の公園でWIFIにアクセスする。スーパーには同じ種類の缶詰や加工品が大量に並び、ほぼ選択する余地はない。多少なりとも色々な国を訪れてきた経験が全く通用せず、2日目くらいまではうろたえ続けた。

初日の夕方「今日のWIFIのチケットは売り切れた」と告げられ、WIFIが繋がるはずの公園で途方にくれていた時、十代後半くらいの若者らがスケートボードをしている姿が見えた。メキシコで日本から遊びに来た友人に誘われスケボーデビューを果たしていた僕は、次の日の夕方にその輪にそろっと入って仲間に入れてもらった。僕が初心者だとわかるとすぐに手本をみせてくれる。仲間内で唯一英語が話せるマウロという青年が積極的に指導してくれる。でもその彼はいつも塀に腰掛けているだけでスケートボードをするそぶりを見せない。聞くと「デッキを持ってない」と言う。キューバにはスケートボードのショップは一つもなく、稀にアメリカからくる売り子みたいな人から購入するしか手がないという。加えてCUPを使える売店での物価を見る限り、彼らにとってデッキは相当高価なもののはず。人数分ないデッキを友達どうしで貸し借りしながら楽しんでいる理由をそのときようやく理解した。「僕のを使いなよ」というと「今日はサンダルだから無理」と笑い「じゃあ明日も来るから明日な」と話をして、それから毎日夕方は公園で彼らと遊んだ。

マウロはシェフになるために料理の学校に通っている。英語は家庭教師から学んだという。「英語を勉強したのは海外に行きたいからか」と聞くと「僕らはこの国の外へでることは難しいんだ」とつまらなそうな素ぶりを見せる。チェ・ゲバラについて聞いても「誰も革命なんて欲していなかったんだ」と一蹴された。彼の視点は、革命前の軍事政権時代を知らない世代であり、ハバナという都市部で育った者のものだ。それでも近いうちにこの国は彼らの世代へと引き継がれていく。たった1週間の滞在で革命の是非を問うつもりはない。それでも彼らの未来が少しでも開けたものになるよう願わずにはいられない。

2018.10.01

サンパウロ / グアルーリョス - ゾーナ・セントラウ

São Paulo / Guarulhos - Zona Central